2013年9月19日木曜日

あれから25年


1988918日国営ビルマ放送は国軍の全件掌握をアナウンスする
運動の直接のはじまりは、その年の3月、ラングーン工科大学の一部の学生が、体制に対して命がけの抵抗を始めたのがきっかけです。これにラングーン大学の学生が呼応し、大規模なデモに発展しましたが、治安警察によって発砲されたり撲殺されたり、警察車両内で窒息死させられたり、女子学生が獄中でレイプされたり、さまざまな弾圧を受けました。しかし、彼らは屈することなく運動を継続し、多くの大学生・高校生があとに続くようになり、同年8月には一般市民も合流するようになりました。

 1988年の8月後半から9月前半にかけてクライマックスを迎えた


9月18日、事態は急転直下、政権を離反したソウ・マウン率いる軍部が再度クーデターにより政権を掌握し再度ビルマ連邦へ改名した。総選挙を公約としたため、全国で数百の政党が結成される。軍部は国民統一党を結党し体制維持をはかった。民主化指導者アウンサンスーチーらは国民民主連盟 (NLD) を結党するが、アウンサンスーチーは選挙前の1989年に自宅軟禁された。







あれから25年、四半世紀である、遠い昔のようにも感じるがつい最近のようにも感じる。
当時ビルマなどには全く関心がなかった、思い出してみると1988年この年の12月に初めてソビエト連邦に行った。
当時はロシアとはほとんどの人はそう呼んではいなかった、ソ連と呼んでいた、モスクワなどは統制は取れて規律もしっかりしていたようには見えた、夜になると町中のいたるところには、軍警察がカラシニコフをぶら下げて守っていた。
しかし食べ物は無かった、ひょっとしたら当時のビルマより貧しかったのかもしれない。

88運動のメンバーは今もなお闘っている、当時とは状況も変わったビルマも夜明けも近いような気もする、あれから25年である。

写真はイラワジ報より転載









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