2012年6月15日金曜日

コヒマカトリック大聖堂



コヒマには、日本のコヒマ戦生存戦友会、また遺族などがお金を出し合って建てたカトリックカテドラルがある、戦没した日本、イギリス、インドの全ての兵士の冥福を祈ったのだ。それは見事な大聖堂で収容人員は約3000人、また内側などもすばらしく、ジーザスの十字架は一本の木で作ってあるそうだ、何故そんな事を知っているかと言うと、説明してもらったんです、係りの方に。
カテドラルの中小さく見えますけどジーザスは3-4メートルあったんではないでしょうか

係りの方がどちらからお越しですか?

はい、日本から来ました。

そうですか、横に此処を建てた 奉納趣意書 がありますので見てくださいと案内された。



奉納趣意書

一九四四年の春、ここコヒマでは、ガリソン高地の争奪に日・英両軍が鎬を削って戦い、彼我合わせて数千の将兵が、祖国の為に死んで逝きました。

“君、故郷に帰りなば伝えよ
  祖国の明日の為に死んで逝った
    われらのことを“

ガリソン丘にあるこの碑文は、亡くなった日・英・印全将兵に共通の想いであり、そして彼らが願った「祖国の明日」とは、平和と繁栄に満ちた祖国だったと確信します。
しかしいまや世界は狭くなり、世界の平和なくして祖国の平和も繁栄も有り得ません。私たちはお互に国境を越えて共存共栄に努力することが大切であり、これが引いては、亡き勇士達の願いに応える事にもなりましょう。
このたび、カトリックの聖堂がコヒマに建立され、朝夕亡き勇士にミサを捧げてくださることは誠に有難いことです。又、地元の皆様が司教様と一緒に末永く往時の勇士を偲んでくだされ、彼らが願った平和と繁栄の為に精進くださるならば、これに優る供養はございません。
玆に、私達生き残り戦友並びに遺族相諮り、聖堂建立資金を集めて奉納する次第です。

合掌

一九八九年一月吉日

  日本国
    コヒマ戦生存戦友
    同 戦友者遺族  一同


そしてその横にはなんと桜が咲いていたのである、5月25日である、当に散っているはずの桜が、日本の桜ではないのではないか?

いや間違いなく日本の八重桜だ。

係りの方に聞いたら、このカテドラルを建てた時に同じく日本の桜を回りに100本ほど植えたのですよと言う返事だった、しかし係りの方も首をかしげながら毎年4月に咲き、既に散っているはずなのですがね、と言っていた。

我々はこれに感動し、英霊が間違いなく待っていてくれたのだと勝手に思い込んだ次第であった。

地理的に行けば日本軍はマオサンソン方面からコヒマに到着し此方の高地を占領したのだと思われる、インパール作戦記やコヒマ戦等を読んでも現在のどの位置かは中々判らない。

ウ号作戦によるインド方面戦死者、烈師団は1万1500名、弓師団1万2500名、祭師団1万2300名、内2万名以上のご遺骨が未だご帰還叶わず現地に埋もれている、現在ナガランド州もマニプール州も入域制限も解け比較的治安も安定している、この様な時にいっきに大規模に捜索をしなければ何時遣ると言うのだろうか、日本政府は本気で探す気があるのだろうか、時が経つのを待って有耶無耶にするつもりではなかろうか、日本人全ては考えなければならない「有耶無耶にしたならば日本人ではなくなるのである」現在の日本の繁栄は万斛の想いを胸に秘めて散った英霊の上にあるのです。
日本合衆国にでもなればそれは探さなくてもいいでしょう、しかし日本が日本である以上は最後の一体まで探さなければならないと言う事なのである。それが判らなければ日本人をやめて下さい。





2 件のコメント:

副長 さんのコメント...

桜の旅人を、桜が待っていたんですねぇ。

東郷デューク さんのコメント...

桜を観てあの碑文を観たときは何か胸にこみ上げてくるものがありましたね。
皆さんしばし感動しておりましたよ。