2010年7月25日日曜日

ワンアーサーラハブチャー

7月25日(三宝節)Asalha Bucha Day 祝日


 旧暦8月の満月の日で、悟りを開いた釈迦が初めての弟子5人に説法を行い、仏・法・僧の三宝が成立した日とされる。旧暦3月(新暦2月)の満月の日のマーカブチャー(万仏節)、旧暦6月の満月の日のウィサーカ・ブーチャー(仏誕節)同様、在家者が近所の寺院に赴き、仏・法・僧に帰依するために、ロウソクを持って本堂を3度回る行事、ウィアン・ティアンを行う。

7月26日 カオパンサー(雨安居入り) 祝日

 暦の上で雨期の始まりの日。釈迦とその弟子たちは、自らの修行と在家者への教えのために、一定の場所にとどまることはなかったが、雨によって川があふれて一面が水浸しとなる雨期に限り、1カ所に定住した。田畑と道の境が分からなくなって稲、作物、水の中の虫を踏み潰すなどの「業」を犯さないためで、この定住が現代まで受け継がれている。

 雨期が明けるオークパンサー(雨安居明け)までの3カ月間、僧侶はより厳しい修行を積むことになり、外泊も禁止される。この厳しい時期を選んで出家する在家者もいれば、カオパンサーまでに還俗してしまう僧侶もいる。

また、この日人々は大きなロウソクの山車を行列になって寺社に奉納します。この習慣から、現代では様々な彫刻を施したロウソクの山車や踊りのパレードが見られる「ろうそく祭り」が行われています。

タイ仏教の由来
仏教とは
仏教は、2500年前のインドに起源を持つ哲学、道徳規範、宗教的信条です。その教えは人類の苦悩の解明や個人のための苦悩の解決策であり、またその道徳規範は慈悲心と非暴力に基づいており、瞑想を通して内観へ到達する道を説いています。つまり、仏教は「実態の本質」のより深い理解に到達するための道を啓示して人々を内観へ導きながらも、人々の日常生活等に結びついた実用的な教えを提供しているのです。今日、世界で5億人の人々が仏教の教えに従っていると推定されています。

仏陀の誕生からタイ仏教まで
仏教は、2500年前に仏陀によって創設されました。仏陀はインド(現在のネパール)のカピラヴァスツの王スッドーダナとマーヤ夫人の間に生まれ、シッダールタと名付けられました(仏陀という名前は釈迦が悟りを開いた後に自らを呼んだ名前で「真理を悟った者」を意味しています)。仏陀はヤショーダラーという女性と結婚して、一子を授かりラーフラと名付けました。しかし、仏陀は日々の快適な生活により心が満たされることはなく、全てのものは滅びる運命にあり人生は苦しみで満ちていると感じていました。そして29歳になった年のある晩、彼は王宮を抜け出して、人生の苦悩を解決する道を見出すため修行の旅に出ました。そして6年の修行の末、35歳になった仏陀はある満月の夜、ネランジャナー川のほとりにあるアシュヴァッタの樹(菩提樹)の下で大悟しました。その後仏陀は「四諦(4つの真理)」を弟子達に説き始め、さらに弟子達により当時の人々へその教えが広められました。仏教はこうして時が経つに連れて各地へ広く伝道されてゆき、仏陀が80歳で入滅する頃までに、インドで定着するに至りました。

インドの王の中で最も深く仏教に帰依したのはアショーカ王で、周辺の国々まで広く布教活動を行いました。このようにしてスワンナプーム(現在のタイ)の地に仏教が伝わり、タイの人々の間にも仏教が定着してゆきました。その後、スコータイ王朝のラムカムヘーン王により仏教はタイの国教として定められ、タイは仏教の拠点の一つとなりました。そのため仏教のタイの人々への影響は大きく、その影響によりタイ人は平和を愛し、異なる民族や文化に対して無類の寛容さと歓迎する心を持ち合わせた国民となったのです。


タイの仏教は所謂上座仏教で南伝仏教、日本に伝わった北伝仏教の差はありますが今風で言いますと保守派と革新と言った所でしょうか。

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