2009年7月30日木曜日

タイの日曜日の朝のテレビ

【与那国】任期満了に伴う町長選は、候補者の顔ぶれが決まってから19日目で選挙戦がスタートする異例の展開をたど り、28日の告示を迎えた。祖納地区で開かれた出陣式では、熱気のなか、外間守吉氏と田里千代基氏がそれぞれ支持を訴え、5日間の選挙戦をスタートさせ た。マイクを持つ応援弁士のトーンも上がり、選挙ムードは急速に高まっている。

自衛隊誘致で発展を
4年間の実績強調・外間守吉陣営
外間守吉陣営の出陣式では、選対本部長の前西原武三氏(町議)が「(外間氏の)4年間の実績と今後の政策を見て、こちらを選ぶ。勝利は目前」と訴え。
 翁長政俊県議に続いて、島尻愛子参議院議員が「米海兵隊員8000人のグアム移転後、沖縄の防衛をどうするかシビアな議論が必要。自衛隊誘致は時宜にかなったもの」とあいさつ。前参議院議員の西銘順志郎氏も、自衛隊誘致による町の発展を強調した。
 前衆議院議員の白保台一氏と辻野ヒロ子県議は、西銘恒三郎氏と遠山清彦氏の名を挙げ、「次の選挙(衆院選)に導こう」などと述べた。
外間氏は、1期4年間に財政調整基金を3億8000万円にしたことを挙げ、少子高齢化への対応や子育てへの支援に生かす考えを示した。医療問題への取り組みも説明。
  農業では「たい肥を入れて増産に向ける」と述べ、3年間で農地合わせて150ヘクタールの地力向上に取り組む政策を強調。「町が発展するんだというみなさ んの気持ちが、尊きご一票になる。与那国を安心安全に住めるまちにする」と決意を述べた。自衛隊誘致には言及しなかった。
 最後は、糸数健一町議に合わせて「がんばろう」を三唱した。

自立へ台湾と交流を
衆院選との連動強調・田里千代基陣営
田里千代基陣営の出陣式では、選対本部長の安里与助氏(元町議)が「自衛隊誘致ではなく、台湾との交流で豊かな島ができる。それを実現するのは田里候補」と訴え。
 民主党の上里直司県議は、同党のマニフェストと田里氏の公約の一致点を取り上げ、「全国の流れに乗った候補が当選するか古い政治を選ぶかが問われる」と述べ、「(衆院選に立候補予定の)瑞慶覧長敏さんもこの町にやってくる」と衆院選との連動を強調した。
 桃原克己市議と後原保一市議は「自衛隊に頼るのではなく、与那国は与那国の町民でつくりあげるという誇りを持って、田里氏とともに歩んでほしい」、「自立のためには、グローバル的な視野に立って台湾との交流だ」などと訴えた。
女性代表があいさつしたあと、田里氏は「自衛隊基地があったら、観光客は来るか。あってはならない」と訴え。住民自治への取り組みでは、「まちづく りは役場とリーダーだけではできない。住民がいなければならない」。「一人ひとりの熱い思いで立ち上がれば、この島は確実に変わる」と力説した。
 集落ごとの代表者が意見を述べたあと、青年代表の崎元恒男氏に合わせて「がんばろう」と三唱した。

日曜日の朝のテレビ

 私はテレビを余り観ないのであるが、何気なくテレビのスゥイチを入れると、面白い番組をやっていた。
どこかの空港のようである、おそらくウボンラチャタニー の空港ではないかと思ったが、飛行機にはロイヤルの文字、タイ全土から選ばれた子供たち、10名ほど一緒にタイのタレントも同乗する様だ、プライベートジェットの様で、機内はかなり豪華、機長がフライトの説明をやって離陸、何処へ飛んでいくのだろうと思っていたが、カオプラビハーン遺跡 へ飛んで、なにやら説明が始まった、子供達におそらく此処は現在紛争地域であるが、誰がどう見たって全てタイ領なのであるとでも言っているのか。
 明らかにそこはカンボジア領なのであるが、領土は一歩も譲らないぞ言う態度なのである、子供達も納得している、機長以下全て軍人であるが、日曜の午前中このような番組をやっているのである、私としては事情がどうであれ日曜日の午前中にこのような番組を遣っている事が嬉しくてたまらない。

 1962年に国際司法裁判所がカンボジア領と認めたにも拘らず、こんな事である。
普通の国はこれがあたりまえで、誰がなんと言をうと自国領は一歩も譲らないし、子供達にも此処は自国領でたまたま相手国が何やら不穏な事を遣っているので、此方としても一歩も譲られないのであると、植え付けているのである。
  
 紛争地域で危険にも拘らず子供たちを乗せてフライとするのである。
すばらしい
日本と大違いである

私は色んな国の国境を見ましたが、日本ほど間抜けな国境はないと思っています。

与那国の自衛隊誘致に反対している連中の中には、非常に極悪な連中が中にはいて、ご禁制の品や抜け荷、等を正業にしている連中もいるとも聞く、何れにしても国境は軍人が守らなくして誰が守ると言うのだ、民間人が守っている国境など聞いた事がない。

カオプラビハーン遺跡
カンボジア名プレアビヒア

カンボジアとタイは11世紀ごろ山岳頂上に建設された寺院一帯の領有権を長年争っていたが、1962年に国際司法裁判所がカンボジア領との判断を下した。 しかし、寺院の入口に入るにはタイ側の山のふもとから上るしかないなど問題があったことから、カンボジアの世界遺産登録の単独申請にタイ政府は同意してい なかった。

 この問題は6月にタイ政府がカンボジア政府による登録申請に合意したことで解決したかにみえたが、タイ国内の政治団体や市民団体がこの合意に激しく反発。タイの裁判所が政府の決定を差し止める事態に至っていた。

2008年07月 カンボジア単独で世界遺産リストに登録

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