2009年2月21日土曜日

2月22日は竹島の日


Japan PM wants settle territorial dispute with Russia
18.02.2009, 09.16

TOKYO, February 18 (Itar-Tass) - Japanese Prime Minister Taro Aso at talks with Russian President Dmitry Medvedev that were held in Yuzhno-Sakhalinsk on Wednesday expressed determination to settle the territorial problem in relations with Russia, the Kyodo news agency reported on the results of the Russian-Japanese summit on the Sakhalin Island.

In their talks, the two leaders agreed to “accelerate our efforts in seeking an original and unconventional approach toward solving the sovereignty dispute during our generation,” Aso said. “The issue has concerned everything between Japan and Russia and that needs a political decision (to resolve),” said the Japanese premier, according to Kyodo.

It said that during the opening of the summit talks, Medvedev told Aso that Russia is ready to expand reciprocal relations between Tokyo and Moscow, welcoming the recent progress of political dialogue between the countries.
The talks were held ahead of an opening ceremony for Russia’s first liquefied natural gas production plant, part of the Sakhalin-2 oil and natural gas development project that involves private-sector Japanese companies. The LNG plant opening was held in the area of Prigorodnoye on the Aniva Bay shore. The plant will supply a major part of its products to Japan.
In addition to the territorial row, the two leaders are believed to have discussed a diverse range of other bilateral issues including cooperation on developing Eastern Siberia and North Korea’s abductions of Japanese nationals in the 1970s and 1980s, Kyodo reported.

Aso became the first Japanese premier since the end of World War II to set foot on the Sakhalin Island. He is planning to return to Tokyo in the afternoon.


上記ニュースはロシアタス通信が18日に小さな記事として配信したニュースです
内容的には何か特別な事が有る訳でもないニュースです

インターファックスに至っては記事を見つけるのにも苦労致しました、又記事に対して日本側が希望すると書いてありました。  ふざけるな


太郎首相が言うように建設的なものでも何でも無かったようです。それよりも何故急に樺太まで日本の首相が出て行かなければならないのか、メドベージェフはサハリン2の開会式に来ただけで、相手からすればサハリンまで行きますので来られませんか?

の様な調子だろと思うのだが、あ-其れでは行きましょうと、 誰が決めたんだよ

何故此処へ来てロシアがシグナルを送り出したか、西で失敗すれば東へ来るのがロシアの常套手段です、其れ位ロシア専門家は分かるだろ、尚且つ金が底を突き出した、EUもエネルギーをロシアに任せるのは当に止めております。

日本のマスコミぐらいでしょロシアがパイプラインを止めたのウクライナが盗んだのやっているのは、EUの人からすればドーゾ御事由にと言う程度でしょう。

太郎首相も、この若造が自分から来んかい、位の事は何故言えないのでしょうか、黙っていても向日から用事が有りますとやって来るのに  ゴルゴを読んでいるならもう一寸勉強してくれよ。

又昨年暗礁に乗り上げていた日本へのガス供給は実行されるみたいです。ほって置いてもこんな事です。サハリン2は日本側の権益が30%ほど有りますので、この際ですからロシア側にガスは要らんから、売り上げ持って来いと言ってみては如何でしょうか?

先人が命を削って残した領土を簡単に半分で良いとか、訳の分からない貴方達が言う 政治判断 だけは止めて下さい。と言うよりも今まで政府は4島一括返還要求等した事が無いのは政治家なら皆知っている事実ですがね、それを貴方は口を滑らせるから、其れが貴方の本音ではないかと皆思うのですよ。

22日は竹島の日ですが何にも考えていないのでしょうね、韓国への金の供給を止めては如何ですか?
オリックスの宮内と言われても守銭奴と言われても良いじゃないですか、領土が守れるならば、仁義を外しているのは相手なのですから。

日本での報道は知りませんが、中川大臣の会見を見ました、たまには酔う事だってあるでしょう、何が行けないのですか、大臣で会見も出来ない位に酔っ払っていたからでしょうか?

私は益々あの人は好きになりましたが

以下は長くなりますが日露の歩みまとめ

明治8(1875)年5月、海軍中将兼駐露公使・榎本武揚(えのもと-たけあき)と、ロシア帝国首相兼外相・ゴルチャコフとの間に調印された日露二国間の国境確定条約。樺太・千島交換条約共呼ばれる。安政元(1854)年に締結された日露和親条約では、千島列島は、択捉(エトロフ)・得撫(ウルップ)両島間を国境線とし、樺太(サハリン)については両国民雑居としていた。しかし、樺太で日露両国民間に紛争が生じた事から、国境線を確定する必要が生じ、樺太をロシア領、千島全島を日本領とする事で決着した。ちなみに、現在、日本が主張する「北方領土」は、安政の日露和親条約に立ち返り、「択捉島以南は日本領」と言う見解に基づいている。

日露戦争の戦闘は、1904年2月8日、旅順港に配備されていたロシア旅順艦隊(第一太平洋艦隊)に対する日本海軍駆逐艦の奇襲攻撃に始まった。
明治38年(1905年)5月27日「敵艦見ゆとの警報に接し、連合艦隊はただちに出動これを撃滅せんとす。本日天気晴朗なれども波高し 」大本営に一報を打電し、艦隊に対し、「皇国の興廃この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ」でロシアのバルチック艦隊との日本海海戦が始まった。この戦いを勝利に納め、日露戦争の終結直前の段階で日本軍は樺太攻略作戦を実施し、全島を占領した。この占領が後の講和条約で南樺太の日本への割譲をもたらすこととなる。

1905年9月アメリカのニューハンプシャー州・ポーツマスで日本全権代表は小村寿太郎とロシア全権代表はウィッテの間で、「日本の韓国における権益の承認、旅順・大連の租借権および長春以南の鉄道と付属の利権の譲渡、樺太南半の割譲などを決めた」講和条約が締結され、ここに、戦費の半分以上を米英資本で賄った日本と、フランス資本を背景に軍費を調達したロシアとの戦争は、日本勝利で終結した。

 条約の概要は、以下の通り。
1.ロシアは、日本が韓国において軍事上、経済上に卓越した利益を有することを承認し、日本が韓国に指導、保護および監理の措置をとることを妨げない。
2.両国は満州から同時に撤兵し、満州を清国に還付する。
3.ロシアは清国の同意を得て遼東(りょうとう)半島南部の租借権(そしゃくけん=他国の領土を借り受けること権利)、長春(ちょうしゅん)~旅順(りょじゅん)間の鉄道と沿線の炭坑を日本に譲渡する。
4.ロシアは日本に樺太(からふと=シベリア大陸とは間宮海峡で隔てられている北海道の北方に連なる南北に長い島で、第2次大戦後、ヤルタ協定でソ連〔現・ロシア連邦〕領となる。サハリン)の北緯50度以南を割譲し、沿海州漁業権を許与する。

この後第一次世界大戦の勝利により太平洋の島々等が日本領土となるも、大東亜戦争では戦争末期には敗北が濃厚となり、ポツダム宣言を受諾し連合国への降伏文書に調印、これによって間違いなく敗戦、しかしながら日本は無条件降伏をしたのではありません、条件を提示して降伏したのであります。この辺の話を書くと長くなるのでこの辺にして置きまして、次へ
このポツダム宣言というのは1943年大東亜戦争中に米・英・中がカイロで首脳会談をおこなったもので、この時の約束事をただ単にカイロ宣言と言っているだけです。このカイロ宣言を履行させる為にポツダム宣言が作られております。それはそれで降伏文書に調印をしておりますので、問題は有りませんが、日本共産党が以前より言ています、カイロ宣言の右同盟国の領土不拡大について

右同盟國ハ自國ノ爲ニ何等ノ利得ヲモ欲求スルモノニ非ス又領土擴張ノ何等ノ念ヲモ有スルモノニ非ス
右同盟国ノ目的ハ日本国ヨリ千九百十四年ノ第一次世界戦争ノ開始以後ニ於テ日本国カ奪取シ又ハ占領シタル太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪スルコト並ニ満洲、台湾及澎湖島ノ如キ日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコトニ在リ
現代文:
右の同盟国は、自国のために何の利益も要求するものではない。また、領土拡張などをも考えるものでもない
右同盟国(米・英・中)の目的は、日本国より1914年の第一次世界大戦の開始以後において日本国が奪取し又は占領した太平洋における一切の島嶼を剥奪すること並びに満州、台湾及び澎湖島のような日本国が清国民より盗取した一切の地域を中華民国に返還することにある
1943年、太平洋戦争(大東亜戦争)中に米・英・中がカイロで首脳会談をおこなった。この時のカイロ宣言で1914年の第一次世界大戦以後日本が諸外国より奪取した領土を奪還することを目的とし、この同盟国には領土拡張の意図がないとしている。そのため南樺太や千島列島は米・英・中の奪還の対象とはなっていない。
と言うことで日本共産党は対日講和条約のカイロ宣言は無効で此れを破棄し、南樺太と全千島列島の返還を要求する旨の事を言って下りますが、一体誰に言っているのでしょうか

ポツダム宣言 八 (和訳原文)

「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルベク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ
現代文: 「カイロ」宣言の条項は履行されなければならず、また、日本国の主権は本州、北海道、九州、および四国ならびにわれらの決定する諸小島に限られなければならない
ポツダム宣言はカイロ宣言を履行されなければならないとしている。カイロ宣言では南樺太・千島には言及されておらず、ポツダム宣言でも千島列島・南樺太にかんする事項がない。宣言ではソ連への千島・南樺太の譲与にも言及がない。

大日本帝国及「ソヴイエト」社会主義共和国聯邦間中立条約
署名 1941年4月13日(モスコー)効力発生 1941年4月25日有効期間は5年であり、その満了1年前までに両国のいずれかが廃棄を通告しない場合は、さらに次の5年間、自動的に延長されるものとされた

占守島の戦い(しゅむしゅとうのたたかい)大東亜戦争終結後の1945年8月18日~21日に、千島列島北端の占守島で行われたソ連軍と日本軍との間の戦闘である。当初、日本側は上陸してきたのはソ連軍と断定できず国籍不明としていたが、次第にソ連軍と認識するに至った。ソ連軍が占守島に上陸したとの報を受け、第5方面軍司令官の樋口季一郎中将は、第91師団に「断乎、反撃に転じ、ソ連軍を撃滅すべし」と指令を出した。師団長の堤中将は、射撃可能な砲兵に上陸地点への射撃を命ずるとともに、池田末男中佐率いる戦車第11連隊に対し師団工兵隊の一部とともに国端方面に進出して敵を撃滅するように命じた。
ポツダム宣言受諾により大東亜戦争が停戦した後の8月18日未明、日ソ中立条約を一方的に破棄したソ連軍が占守島に上陸、日本軍守備隊と戦闘となった。21日に現地での停戦が最終的に成立し、23日に日本軍が武装解除、ソ連側資料では日本側死傷者約1,018名、ソ連側約1,567名

ソ連の対日参戦
8月 8日 ソ連、対日宣戦布告
8月10日 ポツダム宣言の受諾を連合国へ伝達
8月11日 ソ連、南樺太の国境を侵犯し侵攻
8月14日 ポツダム宣言の受諾を決定
8月15日 日本国民に向けて玉音放送
8月18日~8月31日 ソ連、カムチャツカ半島方面より午前2時半頃占守島侵入し、23日に日本軍が武装解除により得撫島以北の北千島を占領
8月25日 南樺太を占領
8月28日~9月1日 択捉・国後・色丹島を占領
9月 2日 連合国への降伏文書に調印。(一般命令第一号発令。本命令により、千島の日本軍はソヴィエト極東軍最高司令官に降伏することが義務付けられた。)
9月3日~9月 5日 ソ連軍が歯舞群島を占領
占領は連合軍「一般命令第一号(陸、海軍)」にしたがって行われた。北方領土を含む千島列島と色丹島、歯舞諸島はソ連に占領された。翌年1月、連合軍最高司令官訓令SCAPIN第677号により、日本政府は、・琉球・千島・歯舞群島・色丹島・南樺太などの地域における行政権の行使を、正式に中止させられた。その直後、ソ連は占領地を自国の領土に編入している。ポツダム宣言の「吾等ノ決定スル諸小島」(此処に竹島等も一部として入っている)条約によると未確定地域と言う話も有るが決定されないまま、サンフランシスコ条約は締結され、さらに、同条約に調印していないソ連と領土に関する合意のないまま、ソ連が占領した島々が現在も実効支配されている。

対日講和条約 
この条約の後文には「千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で、ひとしく正文である英語、フランス語及びスペイン語により、並びに日本語により作成した」との一文があり、日本語版は正文に準じる扱いとなっている。これは当時国連公用語だった英語・フランス語・スペイン語・ロシア語・中国語の5カ国語のうちソビエト連邦と中華民国がこの条約には加わらなかったことからロシア語版と中国語版が作成されなかったことによるもので、また日本語が加えられているのは当事国であるからにほかならない。日本では外務省に英文を和訳させ、これを正文に準ずるものとして締約国の承認を得たうえで条約に調印した。現在条約締結国に保管されている条約認証謄本は日本語版を含む4カ国語のものである。アジア歴史資料センター(アジ歴)などでもインターネット閲覧が出来るhttp://www.jacar.go.jp/

1951年(昭和26年)9月8日に全権委員によって署名され、その後国会承認と内閣批准を経て翌年の1952年(昭和27年)4月28日に発効した。日本国内では、昭和27年4月28日条約第5号として公布されている。
条約では千島列島の範囲は明確になっていないが、国会議事録によると、政府は、日本が放棄した千島列島に国後・択捉が含まれると説明している。平和条約は、放棄した千島列島に国後・択捉が含まれるとの認識のもと、国会承認されている。この説明は国内的に1956年2月に正式に取り消され、その後、日本は「北方領土は日本固有の領土であるので、日本が放棄した千島には含まれていない」としている。

日ソ平和条約交渉と日ソ共同宣言
日ソ共同宣言(昭和三十一年条約第二十号) 9 

日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、両国間に正常な外交関係が回復された後、平和条約の締結に関する交渉を継続することに同意する。ソヴィエト社会主義共和国連邦は、日本国の要望にこたえかつ日本国の利益を考慮して、歯舞群島及び色丹島を日本国に引き渡すことに同意する。ただし、これらの諸島は、日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の平和条約が締結された後に現実に引き渡されるものとする。
1955年6月、松本俊一を全権代表として、ロンドンで、日ソ平和条約交渉が始まった。当初、ソ連は一島も渡さないと主張していたが、8月9日、態度を軟化させ、歯舞・色丹を日本領とすることに同意した。松本はこれで、平和条約交渉は妥結すると安堵したが、日本政府は、突如、国後・択捉を日本領とすることを主張、交渉は行き詰まった。

1956年7月、重光外相を主席全権、松本を全権として、モスクワで、日ソ平和条約交渉が再開された。当初、重光は四島返還を主張したが、ソ連の態度が硬いと見るや、8月12日、歯舞・色丹二島返還で交渉を妥結することを決心し、本国へ打診。ところが、当時、保守合同直後の与党には、派閥間の思惑もあり、重光提案を拒否、日ソ平和条約交渉は膠着した。さらに、8月19日、重光はロンドンで米国務長官ジョン・フォスター・ダレスと会談、席上ダレスは、二島返還で妥結することをきびしく禁止し、4島返還を主張しないならば、沖縄の返還も無いと指摘した。保守党内部の反鳩山勢力の思惑や米ソ冷戦下の米国の指図などにより、平和条約交渉は完全に行き詰まった。

1956年10月、鳩山首相は局面を打開すべく、領土問題を棚上げして、すでに妥結している他の問題(戦争の終結、国交回復、未帰還日本国民送還など)で条約(日ソ共同宣言)を締結することを決断、自らモスクワに渡りソ連との交渉に当たった。モスクワ交渉に先立ち、領土問題は棚上げすることで両国の合意が得られていたにもかかわらず、訪問直前になって、自民党は歯舞・色丹を日本領と確約することを共同宣言締結の条件とすることを決議、日ソ共同宣言締結に新たな条件をつけた。鳩山はフルシチョフとの会談で、歯舞・色丹を平和条約締結後に日本に引き渡すことを明記することに成功、日ソ共同宣言の締結を果たした。(参考、松本俊一著『モスクワにかける虹』)


日本の返還要求の根拠
北方領土が大東亜戦争以前にロシア領であったことは一度もない日本固有の領土である。
1855年の日露和親条約で日露の領土が確定した時に択捉島以南が日本領となっている。
1875年の樺太・千島交換条約で、日露で共同管理していた樺太とロシア領であった千島列島とを交換した際、ウルップ島以北を千島列島としている。従って千島列島とはウルップ島以北のことを指す。
ソ連の対日参戦や日本敗戦後に千島・南樺太をソ連へ割譲することを決めたヤルタ協定は連合国の秘密会談であり、日本との間には何の根拠もない。
日本は日ソ中立条約を1946年4月の期限切れまで厳守することを明らかにし、ソ連に対してまったく攻撃を加えていないにもかかわらず、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄し北方領土を含む千島列島・南樺太などへ侵攻しており、重大な条約違反を犯している。
日本がポツダム宣言を受諾した1945年8月14日の後、8月28日から9月5日にかけてソ連軍が占領している。連合国が停戦を受け入れた後ソ連だけが一方的に侵攻継続した事態は日本領土への新たなる侵略に他ならない。
日本はサンフランシスコ講和条約に調印し千島列島・南樺太を放棄したが、日本が放棄した千島列島に北方領土は含まれていない。千島に属するというソ連の意見があったにせよ、ソ連自身この条約に調印していない。
ヤルタ協定の当事者であるアメリカは『北方領土は常に日本の領土であったので、日本に主権があることは正当として認められなければならない』と戦後日本の領有権を一貫して支持している。
ソ連はヤルタ会談上、領土要求の密約をしており、ヤルタ協定には国際法上領土を移転させるための根拠がない。

欧州議会は、2005年7月7日に日本の立場の支持を決議している。

それではどうやったら領土が帰ってくるか、日本共産党の様に誰に言うているのかも判らず、ただ自分達の気持ちの良い様に遣っている、此れでは駄目ですね。現実問題として全千島や樺太等幾ら交渉を重ねても戻って来ない物は来ない。
ロシアの経済状態が今後益々悪くなるので、オリックスの宮内に頼んで守銭奴を発揮してもらい、とことん値切らせて金で解決する。現実には有り得ると言う事ですね、しかし相手がロシアですから金で解決しても良いよと言う所を見せたがらない。しかし何をさて置き金は欲しい、後は宮内の腕の見せ所ですね、答え間違いではありません。
手っ取り早いのはもう一度やり直しという事で、リセットして一から戦争を仕掛ける、侵略するのでは有りませんので国際的には然程問題は無いと思います。領土紛争地域や主権問題地域では何処の国も交戦止むなしというのが一般な常識です。問題がるとすれば日本国内の問題でしょう、其れをどうやって解決するか、其方の方が埒が明かないと思いますけどね。

本当に戦争をするのでは有りません、核武装と言うと又憲法何条とか言う馬鹿の20乗みたいな奴が何か言い出しそうなので、あまり知られていないプラズマ爆弾を日本海に配備すれば、北方領土も拉致も竹島も全て解決するでしょう。
考えても見てください其の辺の国は只の吹けば飛ぶような普通の国です、日本はプラズマ武装すればプレミアムスーパーカントリーオブJAPANに変身するんです。年寄りと政府が金を溜め込んでいるから一寸やそっとでは金は無くならない、又今から日銀が金をドンドン刷ってもインフレは起こらない、それにプラズマ爆弾で武装をしたら

無敵最強国の出来上がりです。

しかしプラズマ爆弾を何処に発注するかシャープでは無理だろうな




プラズマ爆弾

すでに開発が終わっているとされるプラズマ爆弾は破壊力が桁違いに大きく、例えば東京上空で炸裂すると超高温の中心部の火の玉が本州全土を覆って、大気圏は吹き飛び、地球の表面はガラス状に焼き上げられると言う。

プラズマ兵器
 電磁波などでプラズマを発生させる。
 ピンポイントで生体だけ、金属だけなどを破壊できる。
 日本はプラズマ研究の最先端を走っている国の一つです。

水爆以上の威力はないが、戦術核程度の威力でコストも安く、扱いも簡単な兵器に「燃料気化爆弾」があります。
可燃性のガスなどを散布し、広範囲のガス爆発を起こします。
放射能の心配は無く、酸素を奪うので一瞬で窒息。
気密シェルターでもないかぎり防御不能。

私がプラズマ爆弾の話を聞いたのは、かれこれ20年ほど前イギリスが既に製造したという話を先輩から聞いた
先輩は和白の病院に入院していたけども音信普通になった、何をしているのだろうか

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