2008年12月24日水曜日

イスマイルさんの話



1941年12月8日に大東亜戦争が開始され、パールハーバーを攻撃した事は好く知られているが、とともに英領マラヤのコタバルに日本軍が上陸したことはあまり知られていない。その当時、マレーの人はどのような気持ちを持ってたのでしょうか?

イスマイルさんの話
当時はマレーシアという国ではなく、イギリスの植民地でマラヤと言っていました。マレー人とイギリス人はうまくいっていませんでした。イギリス人はマレー人を押さえつけて、国の仕事にはもちろんマレー人は就けない、マレー人が働いても僅かなお金しか貰えなかった。教育も受けられない。マレー人に力はなかったのです。一人の人間として認められることはなかった。人間らしい生活はなかったのです。いつの日にか自分たちの国にしようという思いはマレー人にありました。

日本軍がコタバルに上陸したときどのように思いましたか。

当時は今と違ってすぐに情報は伝わりません。ラジオもない、イギリスの新聞はあったがよくわからない。状況は人から人と口伝えで伝わってきたのです。イギリス軍を撃破して進む日本軍に私たちは歓喜しました。日本人が我々マレー人をたすけに来た。ほんとうに嬉しかった。マレー人は日本軍を歓呼して迎え入れて協力したのです。

それはイスマイルさんの気持ちですか。

私だけでなく、当時のマレー人の気持ちです。
マラヤにはあと中国人がいました。これは町で商売などやっていましたが、日本軍が来るとジャングルに逃げて日本軍と戦いました。ですから中国人は死んだでしょう。しかしマレー人は死んでいません。

「プリンスオブウエールズ」 「レパルス」の撃沈を知っていますか。

当時私は15歳でした。ペナンにはイギリス軍がいましたがある日、日本軍の飛行機が偵察に来て、その後20機が爆弾を落としていった。これはイギリス軍の基地だけ攻撃した。その様子を目の前にして、見て私たちマレー人は感動しました。私たちはイギリス人に蔑まれ虐められていたのですから。お前らはバカだ、人間じゃあないと。ほんとうに日本軍に感謝しました。

その後ペナンに日本軍が進駐しましたが、マレー人を差別したり虐めたりしたことはありましたか。

まったくありません。日本軍は私たちに学校教育をうけさせてくれた。日本軍の先生がマレー語で教えてくれました。仕事もできるようになり、給料もちゃんと払ってくれた。イギリスがいたときとは全然違います。イギリスは私たちに教育や仕事をやらせなかった。日本人はマレーをマレー人に任せるようにしたのです。その時のマレーと日本の約束は「お互いに協力していこう」ということでした。マレーは良くなったのです。中国人はジャングルに逃げたままでした。

イスマイルさんの話抜粋
http://www5f.biglobe.ne.jp/~thai/page046.html


日本の間違った教育には、即レッドカードを出して退場願いましょう。
日本国エデュケートレッドカード促進委員会

インドネシア

インドネシア政府は、国内外から非人道的と非難された、同国パプア州におけるHIV/AIDS患者対策を取り下げることを正式に発表した。パプア州政府は一ヶ月ほど前、インドネシアにおいてもっともHIV/AIDS 患者数の多い同州において、患者にマイクロチップを埋め込み管理するという政策を発表したものの、国際人権団体の強い批判を受け、計画を取り下げることとなった。この政策提言に対し、パプア人たちからだけでなく、国内外の人権団体から遺憾を唱える抗議が殺到した。こうした事態を受け、パプア州議会副議長KomarudinWatubun氏は「今日正式に計画を中止することを決定した」と12月16日、発表した。(ロイター)

スリランカ

スリランカ政府は否定しているものの、スリランカ北部にて政府との武装闘争を続けるタミール・イーラム解放のトラ(タミル・タイガーズ)は12月17日、政府の同地域への積極的鎮圧作戦に対抗した結果、政府軍に130名の死亡者と数百名の負傷者を出すことに成功したと発表した。洪水のような雨やゲリラ作戦による徹底的な抵抗を受け、同地域における政府軍による数ヶ月に渡る積極的鎮圧作戦は思うように進んでいないのは事実なようであるが、政府もタミルタイガーも、相互に自陣の死傷者の数を少なく報告し、敵陣の死傷者数を誇張して発表するということを恒常的に行っており、ジャーナリストや国際的監視団等の侵入が禁止されている闘争地域における実情は隠されている。(AP通信)

アフガニスタン

アフガニスタン及び大部分の隣国は、12月14日にパリで開かれた非公式協議で、共に同国の安定化を目指し、麻薬不法取引の制限、テロリストグループに対する共同歩調を取ることに同意した。「隣国の強い関与がなければ、アフガニスタンの平和、安全、繁栄は実現出来ないこと、そして、アフガニスタンの安定がなければ、同地域に平和、安全、繁栄が訪れることは無いという点に合意を見た」と、フランスのベルナール・クシュネル外務大臣は会議後に発言
した。しかし、イランが欠席したことにより、フランスが会議に期待した結果とは大きな隔たりが残された。(ニューヨーク・タイムズ)

台湾

桃 園県議会は先週末、桃園県議会作製の2009年度カレンダーを配布したが、10月1日を「国慶節」、7月1日を「(香港)回帰日」などと中国の祝日が記さ れていた。このカレンダーは桃園会が合桃興印刷公司に作らせたもので6万部印刷され、議員1人当たり1000部配られた。印刷を負った合桃興印刷 公司は「作業員が人事行政局の新年暦を参考せず、手間を省くためネットダウンロードしたが、それが中国のものだった」と説明した。議会は間違いを認め、 回収を指示した。民進党立法委員は「桃園議会に内乱外患罪の容疑がある」と批判している。

台 北101ビルで今年も年越し花火ショーが実施される。今回は音楽に合わせて188秒間花火が放たれる。この花火ショーは、大みそか年越しイベントのメイ ン。イベントには、女性歌手アーメイや、人気バンドの五月天が出演する。花火の撮影スポットとして彩虹河浜公園が推薦さている。ここでは基隆河に架か る第一・第二麦帥橋と花火を夜景と合わせて撮影できるという。

昨日、日本会議主催の田母神さんの講演に行きましたが、話している内容は週刊文春で読んだ内容であまり変わり種はありませんでしたが、次は軍事機密か若しくは、本人の名前の由来でも聞きたいものです。

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