2016年10月27日木曜日

三笠宮崇仁親王殿下薨去

 三笠宮崇仁親王 薨去

謹んで追悼の誠を捧げます。

先日タイではプミポン国王陛下が崩御された。タイ全体が喪に服しているいつまで続くのかわからない、皆が終わるまで続くのだろう。日増しに黒い服の数も増えてなかんずく観光客以外は黒服を着ている。

国王の死の報道の在り方、タイ語ではどの様な言葉で報道されたのかよくわかりませんが、日本の報道では
NHK以下各局新聞社「死去」
タイ日系メディア 「死去」
日本大使館「崩御」
CNN他海外メディア 「death」

大使館以外は何か違和感を覚える。

本日三笠宮崇仁親王殿下が薨去された。

NHK以下各局新聞社 「逝去」もしくは「ご逝去」

産経新聞「薨去」

毎日新聞 「亡くなられた」

赤旗新聞 現時点で報道なし

リスペクトできな人、他人からもリスペクトされない。





1936年(昭和11年)に陸軍士官学校(第48期、兵科:騎兵)を卒業。
陸軍騎兵学校を経て、陸軍大学校(第55期)を卒業する。


陸軍士官学校時代には、辻政信が自ら願い出て教育を担当した。辻とはのちに同じ支那派遣軍で勤務されている。

2016年10月17日月曜日

在タイ日本国大使館からのお知らせ

タイを訪問される際のご注意

タイ在住の皆様及びタイを訪問される皆様へ

1.「タイ国政府観光庁」は国王陛下の御崩御に伴い、タイ訪問に際しての留意事項に係るメッセージを発出しています。
メッセージの内容は、現在、タイ王国は国全体として服喪の期間であり、礼節をもって行動することを要望すると共に服喪により各種行事が中止になること等への理解を求めるものです。
「タイ国政府観光庁」日本語ページに掲載されたメッセージは以下の通りです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
現在タイでは、プミポン・アドゥンヤデート国王陛下のご逝去に伴い、国を挙げての服喪期間となっております。
これに際し、タイ国政府観光庁(TAT)は、タイをご訪問される皆様に通常のご旅程を継続していただけますよう希望いたします。なおこの期間中、以下の注意点をご留意下さい。

●多くのタイ国民は弔意を表すため、黒または白の衣服を着用しています。これは強制ではありませんが、可能であれば外出時には暗めの色の礼節をもった衣服をお召しになる事をお勧めします。
●不謹慎な言動はご遠慮下さい。
●観光アトラクションは平常通りですが、国葬の執り行われるワット・プラケーオ(エメラルド寺院)及び王宮は入場観光ができません。
●政府はバーやナイトクラブなどの娯楽施設に対し営業の自制について協力を求めています。なお、営業についての決定は各店舗に委ねられています。
●多くの伝統・文化行事は予定通り行われますが、お祝い事はプミポン・アドゥンヤデート国王陛下を偲ぶのに相応しい内容に変更される可能性があります。
●全ての交通機関、銀行、病院、その他の公共サービスは平常通りご利用いただけます。
●各関連機関により、タイ国民及びタイをご訪問の皆様の旅行を円滑にするため、タイ全土で安全基準の引き上げを実施しています。
●その他、ご不明な点についてはタイ国政府観光庁までお問い合わせ下さい。タイ国内でのコールセンターは1672です。

このような時期にタイ国をご訪問くださる皆様に心から御礼を申し上げますとともに、皆様の安全で快適なご旅行のため尽力して参ります。

20161014

タイ国政府観光庁


2016年10月14日金曜日

プミポン国王陛下が崩御されました。



プミポン国王陛下御崩御のお知らせ及びタイ国首相府の発表


1.10月13日18:50、タイ王室庁は、テレビを通じてプミポン国王陛下の御崩御を発表しました。王室庁発表の概要を以下のとおりお知らせします。衷心から哀悼の意を表します。

 プミポン国王陛下は、仏暦2557年(西暦2014年)10月3日より王室庁がこれまで発表してきたように、シリラート病院でご健康回復のため治療を受けてきた。医師団は、最大限の努力で治療を続けてきたが、ご体調はご回復せず、仏暦2559年(西暦2016年)10月13日(木)15時52分、シリラート病院にて安らかに御崩御された。享年89歳、王位在位期間70年であった。

                                 王室庁
                       仏暦2559年10月13日

2.10月13日19:00、王室庁によるプミポン国王陛下御崩御の発表の後、テレビの一斉放送により、首相府から発表がありましたところ、概要を以下のとおりお知らせします。

(1)全ての公的な場所、国営企業、政府関係機関及び教育機関は、10月14日より30日間半旗を掲揚する。
(2)全ての公務員及び国営企業従業員、政府機関職員は、10月14日より1年間喪に服す。

(3)一般国民は、適切な行動を考えて行動すること。

2016年6月7日火曜日

選挙へ行こう!

             日本国大使館からのお知らせ

第24回参議院議員通常選挙に伴う在外投票が以下のとおり行われる予定です。
在外投票をできる方は、在外選挙人登録申請を行い、在外選挙人証をお持ちの方のみです。

■選挙公示日:6月22日(予定)

■在タイ日本国大使館での投票(予定)
 投票日時:6月23日から7月4日、毎日午前9時半から午後5時まで
 投票に必要なもの:在外選挙人証、パスポート。いずれも原本。

■国内投票日:7月10日(予定)

更に詳しい情報は、大使館ホームページ(http://www.th.emb-japan.go.jp/index.htm)をご覧ください。

(問い合わせ先)
○在タイ日本国大使館領事部
 電話:02-207-8501

 FAX 02-207-8511

2016年3月8日火曜日

噫 忠烈戦歿勇士の慰霊塔

「噫 忠烈戦歿勇士の慰霊塔」




ランプーン県パサーン郡
藤田松吉さん昭和14年陸軍に志願入隊する。長崎の大村で入隊し、久留米で菊兵団に編成された。配属された師団は、菊の紋章をかたどり陸軍の最強部隊とうたわれていた。マレー、シンガポール、ビルマ、ふーこん作戦などに従軍。

以下、2008年のインタビュー記事
「還らなかった日本兵」より抜粋
12年したら再び日本軍がやってくるという噂話を聞きつけ、タイ北西のメーホンソンあたりでシナ人の農作業を手伝いながら、身を隠していた。60キロの荷物を担いて、人一倍、仕事をしていたが、身分がはっきりしないため、労働賃金が叩かれる。

戦後、再び日本軍はやってこなかったが、代わりに高速道路をつくる日本企業の前田建設がタイにやってきた。タイ語ができる藤田さんは、現場で監督になった。日本の企業に尽くし、高速道路をひたすらつくり、その功績をタイの高官に認められ、タイ国籍を取得した。そして、日本に帰るために貯金をし始めた。

 貯金でランプーンに家を構え、戦後10年ほどたったある日、何度も夢に日本の兵隊が出てきて、ここにおるから探してくれと藤田さんの枕もとに立たれた。中には、古井戸の中にいるから引き上げてくれと具体的に場所を伝える英霊もやって来た。それ以来、足が動かなくなるまで、ひたすら遺骨収集をなさった。帰国のための貯金は、遺骨収集に投入された。

藤田さん曰く、1000体以上を収集できたが、まだまだ遺体は眠っております。それに付け加えて日本の遺骨収集団がある時期にやって来たけど、何かわからん数字だけ確認して、途中でまた来なくなったとこぼされる。



 藤田松吉さんは2009125日午前、肺炎のためタイ北部ランプーン県の病院で死去。享年90歳。

2016年2月22日月曜日

宮崎八郎


宮崎八郎は肥後国玉名郡荒尾村(現熊本県荒尾市)に生まれる。孫文を支援した宮崎滔天の兄である。
1870年(明治3年)上京。1874年(明治7年)『征韓之議』を提出する。
ルソーの『社会契約論』の部分訳である中江兆民の『民約論』に影響を受ける。1875年(明治8年)426日、熊本県植木町に植木学校(校長は平川惟一、八郎は学務委員)を設立。
明治10年2月20日熊本城下が慌しくなっていた。植木学校を拠点とした民権党の面々は熊本は保田窪神社に集まり熊本協同隊を結成、選挙により隊長を平川惟一、参謀に宮崎八郎を選び隊は始めは40人ほどでしたが、後に500余人になりました。
221日に川尻で薩摩軍に合流、桐野利秋のもと共に政府軍を相手に戦う。46日、熊本県八代市萩原堤で西郷隆盛を支援し、26歳にして志半ばで戦死した。
隊長          平川惟一
参謀長       宮崎八郎
本営詰       関愼蔵 広田尚 中根正胤 堀善三郎
半隊長       有馬源内
分隊長       麻生直温 野満長太郎
教導長       原田清 高田露 広岡利雄 築地貞俊
輜重長       安東維

2016年1月27日水曜日

天皇陛下フィリピン行幸啓

本日天皇皇后両陛下はホセリサール公園内の無名戦士の墓に献花されました。
明後日には比島皇軍戦没者の碑にて慰霊をされます。
比島方面戦没者五十数万の英霊が涙を流して喜んでいるのではないかと思われます。

待てしばし 勲のこして 
ゆきし友
あとなしたいて 我もゆきなむ

~山下奉文